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古河市の様々な人物や建物の歴史

こんにちは!
古河市で不動産売買のサポートをしている栄進です。
歴史深い町古河市では、様々な人物や建物の歴史で溢れており魅力的な町です。今回はそんな古河市の歴史スポットをいくつかご紹介させて頂きたいと思います。ぜひ参考にして歴史スポット巡りをしてみてください。

◎ 肴町、古河藩使者取次所(御馳走番所)

肴町にある米銀という場所に、大名の使者を応接する役所がありました。役人は客を迎えるために馳り廻る為、ここの役人は御馳走番所ともいわれていました。
肴町というのは職業名の町名のことで、川魚を扱う御用商人がいたことによってこの名がつけられました。
また、肴町通りは古河城までの食糧調達の道でもありました。坂長である店蔵は、古河城の文庫蔵を明治初期に移築したものであり、登録文化財に登録されています。

◎ 肴町

古河駅西口から停車場通りを真っ直ぐ進むと、日光街道へ突き当たります。日光街道を左折するとすぐ館林方面への交差点になりますが、ここは直進し次の信号を右に入ると肴町に入ります。
肴町は城下町の風情を残しており、かつて酒類の販売をしていた坂長の奈良漬は評判でした。
また、和田芳恵も「坂長の奈良漬をいただいていると、生きていてよかったなあと思うから、ふしぎである」と絶賛しています。ですが、残念ながら今は手に入れることが出来ません。

◎ 渡良瀬堤防

片町通りから渡良瀬堤防上に出ると、三国橋から南方向の堤防上に古河城跡の表示があります。古河城は曲亭馬琴「南総里見八犬伝」の舞台の一つで、古河城芳流閣上の決闘は前半部のクライマックスとして有名ですが、これは古河城の櫓をモデルにしたのではないかといわれています。
目の前に広がる本州最大といわれる約33ヘイホーキロメートルもある渡良瀬遊水地は、日本の公害の原点といわれる足尾鉱毒事件によって出現しました。小林久三の「暗黒告知」伊藤野枝の「転機」荒畑寒村の「谷中滅亡史」永井路子の「わが町わが旅」など多くの文学作品の舞台にもなっています。また堤防上には足尾鉱毒事件に生涯を捧げた「田中正造遺徳之賛碑」があり、明治天皇への直訴状が刻印されています。

◎河口信任旧遺跡

宗願寺を出て、右に向かっていくと信号機があります。その信号機を真っ直ぐ行くと、200メートルほどの場所に獅子が崎の土塁からの道と十字路となっています。
十字路を右に曲がり、民家を道なりに左にまわっていくと道が広くなっていきます。そこを右に進むとすぐ「古河城追手門跡」の表示がるのでやや斜めにそこを左に入ります。直進するとまもなく河口信任旧居跡の表示があります。ここは古河藩の藩医であり、小林久三の「むくろ草紙」の舞台となった場所でもあります。

◎まとめ

今回は古河市の歴史スポットである、「肴町、古河藩使者取次所(御馳走番所)」「肴町」「渡良瀬堤防」「河口信任旧遺跡」の4つをご紹介させて頂きました。今回ご紹介させて頂いたものを参考に古河市の歴史について是非1度触れてみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました。古河市の事で不動産以外でも何かあれば栄進までお問合せ下さい。

投稿日:2022/06/04   投稿者:須田純一