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本日は、歴史のある名崎送電所についてお話していこうと思います。

こんにちは!
古河市で不動産売買のサポートをしている栄進です。
古河市は、古河・総和・三和と大間かに区分されています。
その中の三和地区の中ある小学校の名崎小学校の南には名崎工業団地が作られて、現在は日野自動車古河工場の建物が建てられています。
日野自動車の工場が作られる前は、工場の建物が建っていたわけではなく大小の鉄塔が立ち並び、送電所の敷地として利用されていました。
本日は、歴史のある名崎送電所についてお話していこうと思います。

◎名崎送電所の歴史と現在
現在は、インターネットが無くてはならない存在ですが、昔から通信技術が発達していたわけではありません。
通信技術が発達し始めて、国際通話が可能になったり放送無線電話を利用するために昭和7年に国際電話株式会社という会社が創設されました。
このことを受けて、各地には国際通信あるいは海外に放送できるように受送信施設が作られ始めました。
いばらき県は、送信上の条件から見て方位や距離に関して最も好条件な場所にあったため県内で候補地の選定に入ったのです。
当時の逓信省電話課長は、三和地区出身であったため三和地区が有力地として挙がりました。
他にも三和地区の土地が候補として挙がりましたが、耕作地が失われるのではないかという地元民の反対の意見が多く寄せられてしまいます。
この様な状態を受けて、昭和8年に名崎での誘致交渉が始まりました。
名崎の地域でも、地元住民からの反対の声が聞こえてきましたが、村当局をはじめ議員や地主らが尽力し地元住民からの理解を貰い、建設にこぎ着けます。
同年の夏には、建設工事が始まり、翌年には通話業務が可能になり、県知事をはじめ官民関係者を招いて落成式が挙行されました。
この時に桜の苗木が地元青年団から寄贈植樹され、昭和10年には日本で初めて海外に向けた短波ラジオ放送がアメリカの西部やハワイに送信されました。
短波ラジオが海外に放送されたことにより、名崎送信所は日本を代表する短波通信施設として活躍をし、戦争を乗り越えて昭和30年頃に最盛期を迎えたのです。
時代は日々進化するので、短波通信ではなく他の通信方法がどんどん開発され、名崎送電所は縮小に伴い他の施設へ統合されたり、移管が進んだりと昭和49年に40年間による歴史に幕が下りました。
その後も、日本電信電話株式会社が名崎送電所を無線送信所として利用し始めますが、それも次第に縮小され平成21年にすべての送信業務が終わると平成23年に新たに工業団地として生まれ変わりました。
現在は、日野自動車古河工場として利用されており交通量も次第に増え始めており、今後の活躍に期待されています。

◎まとめ
本日は、古河市内の三和地区にあった名崎送電所の歴史についてお話させていただきましたが、いかがでしたでしょうか?
茨城県には何もないと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、名崎送電所が無ければ電話での通信あるいは海外への放送ができていなかったかもしれないほど歴史があるのです。
ご自身が住んでいるあるいは、住もうと思っている地域の歴史を知ることで少しでも愛着が湧いて下さればと思います。

不動産のことでお悩みの際は、当社までいつでもお気軽にご相談ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。

投稿日:2022/07/19   投稿者:須田純一